昭和41年02月06日 夜の御理解
今日は、青年部会の方達が、総代さんの秋山さんを先頭に、大関のほうからあの、石を合楽の現場のほうへ運ばれる御用を、終日頂かれました。朝から、もう7時頃まででした。それに皆さん帰って見えて、皆がその言われるのに、「今日あのように気持ちのよいことはなかった」と言うてから、あの話されるんですね。それは、ちょうど道が、道にその、石を大きな石を運ぶ度に、あのうなんちゅうですかね。
大きな柱を3本建てて、そしてその石を釣り上げる作業をしなければならんのですね。ですから、どうしてもその道が、自動車が通るのに邪魔になるわけですね。そのたんびんにその柱をこちらにやっては、通ってはもらわんなんから、自動車が度々にその迷惑するわけなんです。それにもう今日という今日はもう、あれだけ通る自動車が皆「どうもすいません、どうもすいません」ち言うてから、その通ったっちいうんですね。
もうあのある自動車なんかは5、6遍ぐらい、まあ用件があってこう通らなきゃならん「どうもすいません」っち言ってから、もう何遍もその恐縮されたって言うんですね。ほんとに私はあの、勿論こちらの15名の方達が言っとりましたが、その方達がですね、本当に私あの勿論こちらの15名の方達が言とりましたが、もうその方たちがですね、ほんとにこげな事をしとるもんだから、通り難うてすいません、どうもすいませんとこちらが言うから、向こうもやっぱ「すません」( ? )ですね。
だからです私それを聞きながらです、この世の中というものはなら例えば信心がなかってもですね、もうこちらが本気で信心になればね、両方ながら「すいません」「すいません」で通っていけれる道があるということです。ね。それをただ、そのおざなりな「すいません」であったり、そのう「せからしかね。また自動車が来よる」ちゅうごたるふうなその、ことだから私は問題が起こって来るんじゃないかとこう思うですね。
もうそれは本当に、あのうそこん隣の定男さんまで、「もう今日は自動車が皆『すんません、すんません』ち通ったですよ、先生」っち言ってから私に報告されるくらいですから、やっぱ気がつかれたんです、その事にです。であのもう私どものこの日常生活の上にもですね、この「すいません」が言えれるようになったら、有り難いと思うですね。ですから、これは、私そのこと今日、今思わせて頂いてご祈念させてもらいよりましたら、ちょうど神様がシナにおりよります時分の情景です。
( ? )さんなんか長くあちらにおられたから御承知でしょうけれども、支那人が必ずこの「すいません」ということを言うんですね。けれども、それは、自分が例えばどどうかしてもらうための「すいません」であり、自分が道を通るための「すいません」なんです。「モジャモジャモジャモジャ」っち言って通る。「モジャ」ということは、すいませんということです。
少し逃げたら「ロンジャ」と言うわけですね。「ロンジャモンジャロンジャ」とかいうてその、自分が通るためとか、自分がどうかしてもらうために、のロンジャなんです、ロジャなんですね。だからなら、これ日本人でもやっぱり同じこと。自分がそこば通るために、自分がそこの自分のために言う「ロジャ」ではいけないと。もうほんと「すいません」がですね、ほんとにすいませんと、というならですね。
相手もまた「すいません」と言わなければおられない、なら相手にも「すいません」を言わさなければ、おられないような内容の(運転?)でなからなければいけないのであり、「すいません」でなからなければならないであるということです。ね。相手にも、「すいません」を、「どうもすいません、ほんとにこう道を狭うして、すいません」てから、その15名ほどのものが「どうもすいません」てでかいその、相手が屋根のほうですから、屋根のほうをこうやって、妥協してやってるわけなんですね。
自動車に傷がつかんように。「そいで、すいませぇん」て言うてから、もう一人なんかもうこうっそのう、もう喧嘩んいっちょするごたるふうな、あの今の大きなトラックの大きかつのがあるでしょうが。あの、あの、あれなんて言うですかね。(ダンプ)。ダンプカー。ダンプカーの運転手、はあ、こんやつはちがわんごとどうか言うかんしれん、と思いよったげな。そしたら、「どうもすいません」と、下から手振ってからその、通ったちゅうわけなんです。
だから、もうそのもう「すいません」を言うなら、もうこっちも、もう気持ちのよかごとある。それを1日中そうだったと。誰一人、「もうせからしい。こげんところで」という者はなかったと、こういうわけなんですね。もう今日はもう、それがとっても、こちらが信心になりゃ、相手も信心になるんだなあということを、まあ実感したというようなことを聞きながら、それを思うのです。
だから、自分が通るため、自分が通るための「すいません」ではいけないということ。ね。相手にも「すいません」を言わせれるような内容の「すいません」でなからにゃいけないということ。ね。いかに信心でなからにゃならんかと。「何事にも信心になれよ」とおっしゃることは、こういうようなところにもあるというふうに思うんですね。それ聞かせて頂いてから、はあほんに世の中がですねえ、うんてんで、今最近、堤さんの所に、入る、あの、こう道が、あすこの三輪車があるわけですね。
そこがその、少し向こうの道にかかるわけなんですよ。今そこんとこに、もう紛争があってるわけです、もう長年あってるわけなんですけれども。だからそこを買い取ろうと言や、売らんと言うわけですね。通るごとあるんなら、もうここは壁どんするちゅうごたるふうなその生き方なんですね。だから私はその、相手が悪うじゃなかばの。もうほんとに、堤さん、あのう、金を出すけんでじゃなかて。相手とどうしたら分からん奴じゃろうかというのじゃなかて。うん。
そりけん、この前なんかは、そのう、もう2、3年前のことでございましたけども、やっぱりそこで紛争がありましてですね、それでその、堤清さんが、あのう、息子さんが、向こうのオヤジさんにもう、ギャフンちその言うたそうですね。もう、まあ、相互いじゃないかと。俺んとこもこげんして迷惑にきやとる。こげなこつは当たり前じゃないかと。今、( ? )かと。お前達が来る前から、ここを俺達は通りよるとぞち言うてから、もうそれこそギャフンちゅうごとやったそうです。
ところが明くる日コロッと死なしゃったそうです、そのお爺さんが。それで、そん御霊様のはたら、そん御霊様の腹かいてござっとじゃなかじゃろうかち、この頃思いますていうてお届けしてるんですよね。もうそれがもう長年それがその紛争が続いて、もう愈々自分んがたも多くトラックを使わんならんもんですから、まあ困るわけなんです。ところがそこを、そこば通るごとあるなら。
おれには壁にするちゅうごたるふうな、まあ勢いなんです相手というのは。しかし世の中ってそんなもんですよ。もうほんな通らしたっちゃ路地のごたる所じゃけん、なんでもない所をですね、もうあすこここば黙って通るけんで、もうモヤモヤする。ここを壁しよっちいうちから壁する。それねもうほんとにあることですよ。ね。だからそういうようにそのいがみ合うた、例えばこの生き方っていうようなものではなくてですね。
「どうぞ、お通り下さい」「ほんとすいません」「いいえ、そげなだんじゃありません」といったような、私、生き方があると思うんです。ね。それにはやはり、まだまあだ、それがそうでないとするならば、こちらが平身低頭、いわゆる心からの平身低頭、ほんとに心から「すいません」というものがです、心ん中にないからだと、私は悟らなければいけないと思うんですよね。
どうぞ。